少し前の芦田愛菜さんが主演映画「星の子」の完成報告イベントで『信じる』という事についてスタッフから聞かれた際に答えたコメントが日本だけでなく国境を越えて反響を得ているようで、
今日の話題は相手を『信じる』という事について。
プチ起業、個人起業、ミニ起業した起業家の皆さん。親、兄弟、友達、仕事仲間。貴方にとって『信じる』とは何ですか?
約1分10秒のコメントに観る『信じる』ということ
芦田愛菜さん『信じる』という事に関してのコメント全文
『「その人の事を信じようと思います。」って言葉って結構使うと思うんですけど、「それがどういう意味なんだろう」って考えた時に、その人自身を信じているのではなくて、「自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっている事なのかな」と感じて』
『だからこそ人は「裏切られた」とか、「期待していたのに」とか言うけれど、別にそれは、「その人が裏切った」とかいうわけではなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であって、その見えなかった部分が見えた時に、「あ、それもその人なんだ」と受け止められる「揺るがない自分がいる」というのが「信じられることなのかな」って思ったんですけど』
『でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は「信じる」って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました』
このコメントを聞いた時も、こうして文章で見ても、とても16歳の発言とは思えないような聞く側の事も考えながら自分の意見丁寧に伝えている、考えられたコメントだなと思いました。
まず凄いなの一言です。
自分にとって相手を『信じる』というのは何なのか
この芦田愛菜さんの言葉を見ながら、僕にも信じている人もいっぱいいれば、逆に信じていたけど裏切られたと思った人もいたな、とそんな事を思いました。
でもこれは、芦田さんの言葉にもあるように相手に求めている理想の人物像があってそれを信じる事で自分が安心しているだけであり、その信じている人であってほしいという自分勝手な思い込みが逆の方向に行った時に「裏切られた」と人は思うんだろうなというのはとても納得です。
だからこそ自分の中に「揺るぎない自分の軸」を持つ事の難しさ、自分自身の器なのか、受け側の心の在り方が求められるんだろうなと思います。
そう考えると、僕が裏切られたと思う人は相手も同じように僕にそう思っている可能性はあるし、相手のその時の立場に立って考える事で見えてくるものもあるんだとは思います。
信じるという言葉は確かに容易に使えて、
初めはその信じるといいう言葉一方通行だったものがお互いを信じるに変わり、
その信じるの積み重ねが信頼に変わり、
いつしか「この人は自分を裏切らない」という確信に変わり、
その確信に安心に変わってしまった時に「裏切られた」と思う気持ちになるんだと思います。
だからこそ僕も
信じるという言葉を使う時には、その言葉を使う側は裏切られる事も織り込みずみで、それでも信じるんだという心の持ちようが大切なんだと思います。
少し違う言い方で言えば、
もし一度その人を信じ切ったなら、裏切られたとしても最後の最後までそれも受け止めて信じぬくという事です。
裏切るかもしれないし裏切らないかもしれない。
裏切らないかもしれないし裏切るかもしれない。
この会社BUGSYを去年の7月にプチ起業してから今日までも、確かに色々な経緯や周りの人の想いの中、僕自身が相手に使った『信じる』や『信じていた』という言葉、相手側から僕にもらった『信じる』も『信じていた』も、たくさんその『信』という言葉の行き帰りがあったように思います。
どちらにしても、信じる。
今は思えない事でも、その先にそう思えるように。
今は思われなくても、その先にそう思われるように。
とにかく芦田さんに、心からあっぱれです。
では、今日はこの辺で。
4年後の2024年11月11日まで
あと1389日‼
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