実は昨日は戦国時代の有名な武将で日本人なら誰しもが知っている『織田信長』が『本能寺の変』で自刃した日だったので、ちょっと僕自身も戦国時代~明治維新にかけての歴史が部分部分ではありますが好きなのでプチ起業家ドットコムブログでも取り上げてみました(^▽^)/

定説では、部下である明智光秀が裏切って謀反を起こして殺したというのが定説ですが、他の黒幕説等は何があるのか簡単におさらいしてみたいと思います。

時代によって変わる犯人像

この織田信長を本能で殺した犯人像。江戸時代から戦前までは『怨恨説』が、戦後の研究からは『野望説』が生まれ信じられてきたようです。

誰もが知る明智光秀説

小学校の時の歴史の授業でプチ起業家の皆さんも習ったとは思いますが、本能寺の変は天正10年6月2日早朝に、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣である明智光秀が突如謀反を起こして襲撃した事件になります。 信長は寝込みを襲われ包囲されたのを悟ると、寺にまもなく火を放って自刃したというのが小学校でも習った一般的な明智光秀説ですね。

火を放った際に、大好きだった能を踊りながら言ったとされる辞世の句が、

人間五十年 天下のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり、一度生を得て 滅せぬものの あるべきか、これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ

※訳)人の一生とは50歳ぐらいものである。巨大な時間の流れに比べたら、夢や幻のように儚いものであり、生を受けたものであれば、いつかは必ず死滅するものだ。

は有名ですね☆


朝廷説

当時朝廷と信長の間には、さまざまな軋轢があったとされていて、信長は正親町(おおぎまち)天皇に譲位を迫り暦を訂正するよう求めるなど、朝廷に圧力をかが事件関与を疑われて逃亡しており、光秀と朝廷の取次役であった吉田兼見は本能寺の変前後の日記を改ざんし光秀との関係を隠そうとしていたようです。こうした公家たちの不審な動きが、朝廷が光秀の黒幕であったことを示しているという説です。


足利義昭説

室町幕府15代将軍の義昭は、信長と対立して諸国の大名に打倒信長を呼びかけ、自らも挙兵したため、元亀4年(1573年)に信長によって京都から追放されました。一般的に室町幕府はこの時に滅亡したとされていますが、義昭は将軍職のまま毛利輝元領の備後(現広島県東部)で亡命幕府を維持しています。そして2017年、光秀が山崎の戦いに臨む前日に書いた手紙の原本が見つかり、光秀が「義昭を京都に迎えたい」と書いていることから、その意図は室町幕府再興にあったとする見解が示され足利義昭説が話題になりました。


羽柴秀吉説

本能寺の変によって最も得をした者は誰か? となれば、明智光秀を討って天下人となった秀吉になるのではないでしょうか。光秀は四国の長宗我部元親と親戚ぐるみの親交を持っていて信長もそれを認めていましたが、信長が元親を見限ると秀吉は元親の仇敵である三好康長の四国復帰を支援、信長の了承も取り付けて光秀を窮地に陥れたという事があります。また本能寺の変が起きると、秀吉は戦っていた毛利氏と素早く講和を結び、光秀を討つべく現在の岡山市から京都までの約200kmを10日で走破する中国大返しをやってのけました。その手回しのよさから、秀吉は光秀が謀叛を起こすよう仕向けていたのではないかとされます。


徳川家康説

信長の同盟者の家康は、かつて正室と長男が武田氏に内通している疑いを信長にかけられ二人を死なせているため信長への憎しみはあったとされています。しかしそれ以上に家康を不安にしたのは武田の滅亡であり、東の防波堤役を務めてきた徳川の存在価値が失われたことでした。信長は自分にとって価値がないと見れば手のひらを返すのは長宗我部の例からも明らかであり、実際宣教師のルイス・フロイスは信長が家康を殺すつもりではないかと疑い、本能寺に向かう光秀の手勢には敵は家康と思い込んでいる者もいたようです。危険な状況を打開するために家康は何らかの方法で光秀に謀叛を起こさせたという説です。

この他にも堺商人説、イエズス会説、本願寺説など挙げればきりがありません。全ての黒幕説に共通するのは決定的『物的証拠』がなく『状況証拠』しかない事です。足利義昭説以外の黒幕説で研究者が支持しているものは現在ありません。足利義昭説にも多くの疑問が提示されており、最新研究における大勢は光秀が単独で本能寺を起こしたとしています。

ちなみに僕はどの説を推しているかというと、

そう、明智光秀単独説です。

ただ、先ほどあげたゴリゴリの怨恨説や光秀自身が天下布武の名乗りをあげたいという野望説ではなく、あの日信長のいる本能寺が100名足らずと手薄になった事で咄嗟に魔が差し企てた場当たり的犯行説がしっくり僕的にはきています。

昨日の京都新聞にその説を改めて示した内容が紹介されているので見てみて下さい。

本能寺の変は場当たり的? 光秀、信長の粛清恐れたか 旧暦6月2日の出来事

京都新聞HPより

どうですか?

信長からの不信感と強迫観念に、突然の疎外感。
今まで信長の天下布武のために戦場から戦場へと馬車馬の如く働き、
その最中光秀は最愛の妻を亡くす。
それらが光秀の中頭の中に走馬灯のように頭を駆け巡る。

そんな中ふと視界に入ったのが、
中原に鹿が迷う込んだかのような手勢の少ない信長のいる本能寺だった。

「敵は本能寺にあり」と言い討ち入った光秀。

本能寺に攻め入ってきた相手が、桔梗の旗の明智光秀だと知り

是非におよばず」と言った信長。

「是非におよばず」の現代語の意味は「仕方がない」です。

信長最後に放ったこの「是非におよばず」がどういう心情で吐露した言葉なのかは分かりませんが、重い言葉だなとは思います。

歴史の真実はどうであれ、どちらの立場に立っても男のロマンを感じるのは僕だけでしょうか。

敵は本能寺にあり。

是非におよばず。

では、今日はこの辺で。

目標の2024年11月11日まで

後1257日‼︎

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