昨日『ONODA 一万夜を越えて』という映画がYouTubeを見ていてふと目に入ったの見てみると、終戦後に終戦と知らず30年間もフィリピンのルバング島というところにいた日本兵の小野田寛郎さんという方の映画という事で、僕自身知っていたのは、アメリカ領のグアム島で28年ぶりに発見されて話題になっていた横井庄一さんしか知らなかったのでビックリしました(+_+)!!!
30年間潜伏していた小野田寛郎さん
フィリピンで日本へ帰国する直前の小野田さんの映像がコチラ↓↓↓
この人の人生が気になる方はウィキペディアに詳細に描かれているので見てみて下さい(^▽^)/↓↓↓
ウィキペディアより
動画やウィキペディアを見るに終戦後、日本は発展していったのは小野田さんも情報を仕入れてしっていたようですが、投降を呼びかけられていても応じなかったのは、若い時に受けた教育を思い出し、終戦が作られた欺瞞であり敵対放送に過ぎないと思っていたため、当時の上司から直接終戦を告げられるまでは命令に従って自分に課せられた任務を遂行する事だけを考えていたようです。
小野田寛郎の三十年戦争のYouTube動画
そして横井庄一さんはこんな感じでしたね(⌒∇⌒)
28年間潜伏していた横井庄一さん
横井さんについても気になる方はウィキペディアの方が分かりやすいのと思うので見てみて下さい(^▽^)/↓↓↓
ウィキペディアより
横井さんで有名な話で言えば、日本に帰国後の記者会見で「恥ずかしながら生きながらえておりましたけども」と発言し、この言葉をとらえて「恥ずかしながら帰って参りました」がその年の流行語となっったみたいですね。
あとは、横井庄一(よこいしょういち)さんの名前にちなんで、
座るときや腰掛ける時に「よっこいしょーいち!」も結構流行ったみたいですwww
そして実は、小野田さんは『終戦を知っていた』という話も過去のニュースを見てみるとあったりします。
ジャーナリスト山田順氏の2014/1/24のコラムより
上のニュースの一部を引用して抜粋すると
↓↓↓
小野田さんは戦後、ルバング島で生き残った仲間と住民を襲い、食料を奪いながら生きてきた。村人を何人か射殺している。銃は肌身離さず持っていた。だから、戦争が終わっていたのを知っていても、報復が恐くてジャングルを出られなかった。ただ、最後に残った仲間の小塚一等兵がフィリピン警察軍に殺されたので、観念したのだろう。
(つまり、元上官の任務解除命令、フィリピン軍に投降などの一連の儀式は、フィクションの上に成りたっていたと言える)
ジャーナリスト山田順氏の2014/1/24のコラムより一部抜粋
とあり、見方が変われば捉え方も変わってくるんだろうなとも思います。
しかし、どちらにせよ横井さんにせよ小野田さんにせよ、
生き抜くために必死だった事だけは間違いないでしょう。
日本に帰国前のフィリピンでのインタビューで、記者からのこんな質問に対しての返答が印象的でした。
記者: それでは一番嬉しかったことはなんでしょうか?もしございましたら教えてください。
小野田さん: 29年間嬉しかったことというのは、きょうの今までありません。
ただ、小野田さんの晩年の顔を見てみると、とても優しい顔をされていたので良かったです。
では、今日はこの辺で。
目標の2024年11月11日まで
後1120日‼︎
現在体重87.55キロ!
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