株式会社BUGSY。そしてバグジーくん。

全てはこの男、ベンジャミン・シーゲルの影響です。

ベンジャミン・バグジー・シーゲル

1940年代、周り一帯がまだ砂漠だったラスベガスと比べると今は凄い変わりようです。

まずこのベンジャミン・バグジー・シーゲル(以下バグジー)という人は、どういう人かというとタイトルにもあるように、当時まだラスベガスが今と比べて想像も出来ないぐらい発展してない時期(ほぼ砂漠)に、

今はこの土地は不毛の地かもしれないが、いつかこのラスベガスは世界の富豪達が集まる一大カジノリゾートに必ずなる。」

と言って、当時売り上げの立っていなかったラスベガスにあったカジノ2件のうちの1件を買収し、その後すぐに儲けて売却、さらに莫大なお金をかけて豪華なカジノホテルを作ろうとしたのですが途中、予定よりも工事費用がかさみ過ぎてバグジーに出資していた同じマフィアから工事費用の着服を疑われ、最後は志し半ばで殺されてしまうんですが、とにかく41歳という若さで死ぬまでに好きなように生き抜いた男の激動の人生に魅了される映画です。

僕がこの映画を見たのが21歳の時だったのですが、とても衝撃的過ぎて映画を観終わった後に思わず「俺も日本のカジノ王になる!」と東京にあるカジノスクールに行くためにお金貯めようとして恵比寿でバーテンダーとして働き始めたのを思い出します。

その当時お世話になっている会社の社長に、「カジノが日本にいつ出来るかは別としてカジノいつか作りたいんならお前がカジノスクール行く必要なくない?カジノスクールを卒業した人間雇えばいいじゃん。」と言われ、なるほどそういう考えもあるんだとスッと胸に入り結果カジノスクールには行くのは止めましたが、その後もバグジーのエンターテイメント性溢れる華やか生き方に憧れ、その影響は僕の会社「株式会社BUGSY」の名前にあるように今現在にも続いています。


僕のWEB会社、株式会社BUGSY(バグジー)の由来

バグジーとは日本語に直すとバイ菌、害虫、狂人という意味の蔑称で、ベンジャミン・シーゲルも周りからイカれた野郎という意味でこの『BUGSY』と呼ばれるようになったみたですが、バグジー自身はよほど親しい人じゃない限りは、自分の事をそう呼ぶ事を許さなかったようです。

僕が会社の名前にBUGSY(バグジー)と付けた理由は、当時いつか自分の人生で勝負を賭ける会社を設立する時がきたら『株式会社BUGSY(バグジー)』とつけようとこの映画を観た時から思っていたからです。

ちなみに下の写真は当初建設費が100万ドル予定だったところを途中400万ドルまでに膨れ上がり、周りのマフィアから疑念の目を向けられながらも後には引かず最終600万ドルもの莫大な費用をかけて完成したカジノホテル『フラミンゴ』ですが、こちらの名前はバグジーが寵愛した女性バージニア・ヒルの愛称フラミンゴから取ってつけたとされています。

バグジーが愛したバージニア・ヒルの愛称を名前にした『フラミンゴ』

『BUGSY』という映画に出逢えた事に感謝

現在僕の会社事務所の入り口上には、当時観て衝撃を受けた映画BUGSYのジャケットが飾っています。↓↓↓

ベンジャミン・バグジー・シーゲル本人をモデルとして映画『BUGSY』

この映画のラストシーンに出てくる字幕。

600万ドルで始まったバグジー の夢は、1991年までに1000億ドルの収入をもたらしている

という言葉のバックに、現在のラスベガスのフラミンゴホテルの映像が出て終了。

志しは半ばで死んだバグジーですが、その後彼が言っていたラスベガスが一大リゾートに必ずなると言った事は結果証明されました。

バグジーが正義とか悪とかは別として、僕は間違いなく今の人生に影響を与えたという事実に素直に感謝してます。

僕が最も影響を受けた男、

     ベンジャミン・シーゲル。

その男の通り名は、バグジーにつき。

では、今日はこのへんで。

目標の2024年11月11日まで

あと1339日‼

僕の会社株式会社BUGSYのHPはコチラから→https://bugsy-inc.jp

バグジーの各種SNSまとめサイトはコチラから→https://lit.link/bugsy

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